一日一冊『できる人の書き方嫌われる人の悪文』樋口 裕一

できる人の書き方 嫌われる人の悪文

できる人の書き方 嫌われる人の悪文

今日の一冊は『できる人の書き方嫌われる人の悪文』樋口 裕一。「できる人の書き方」なんて、地雷くさいなと思いながら借りた。

結論から書く。税別1200円だが、私の評価は100円。100円は資源に対しての値段で、本書の価値は0だ。買うことも読むこともお勧めできない。

全体を通じて、常になにか外れていると感じる。(私にもそれがなにかははっきりとは言えないが)本質を捉えていないように思う。その場しのぎな対応という印象を受けた。もっとも、対象としている(できる人〜なんてフレーズに本気で引かれるような)読者には、それがいいのかもしれないが。

四部構成、部分的に同意しつつ反対する、それがこの本で言われているコツだ。ほかにもこまこまとしたテクニックみたいなもので飾っている。はっきり言ってくだらない。

文章作成の基本は、誰が読むのかを考え、伝えたい内容を考え、それに必要十分な情報を記述することだと私は思う。それらを踏まえたうえで、細かい部分にふれていくべきだと思う。最初にそういった説明こそ、きっちりすべきだ。一章の一番はじめにある「よい文章を書けばできる人に見られる、といったよい文章を書けることのメリット」のような内容は必要ない。もっと「よい文章の条件(本質)とは何か」について考えるべきだし、それを満たすための書き方について書くべきだ。

この書籍では、とうてい正しいとは思えない書き方を、それの意味について書かずにすすめている。一つ例を挙げよう。

筆者は「確かに〜しかし」という書き方の有効性を書き、それの利用をすすめている。こんなのは、どうでもいい文のつなぎかたにすぎない。相手に部分的に同意しつつも……、そんな型をつくるなんてのは馬鹿げている。もちろん、同意できる箇所があるなら、そういう書き方をすべきだろうが、相手に同意できる箇所もないのに、そういう書き方はすべきではないと思う。

ここについて、私がこういう書籍で書くならば「相手の文章を、同意できる・できない部分で分けて、同意できない部分には、できない根拠を挙げる」そんな風にすべきだろう。「『確かに〜しかし』という書き方をすれば、自分の意見の根拠が増すし、相手への配慮もできる」なんて書き方はまったく馬鹿げている。理解できない。

こういう部分を見ていて「本質から外れている」と私は感じるのだろう。

そもそも「忙しいビジネスマンにテレビのCMに合間にでも読んでほしい」なんて、そんな本が良いものであってほしくない、とも思う。タイトルの時点でも、つまづいているように思う。どうあがいても「できる人に見られるための書き方」の域を越えられないように感じる。できる人、そう見られたい、そのための書き方を知りたい、そんな人が読む本なのだ。 こういった本は、良いなと思った部分だけを拾って読むものなのかもしれない。あまり気にせず次に行きたい。