フリーセル

セロリは好きじゃないけど、ジグソーパズルは好きだったりする。ほかには、イラストロジックやフリーセルなんかも好きだ。共通するのは、新鮮さを強烈に主張するような香りを持たないこと、単純な作業を積み重ねていくこと、完成と言える終わりの形を持つこと、だと思う。

ジグソーパズルは頭が悪くたってできる。1000個からなるものなら、1個目でも、最悪999個試せば、はまってしまう。絵を見なくたって、だ。いつかは完成する。「完成させられるものなら完成させてみろ」と挑戦的なのだ。試しているのか、試されているのか分からなるのも楽しい。

イラストロジックはジグソーパズルほど場所をとらない。完成させるのは、確かに絵だが、こちらには普通、色はない。白と黒。真と偽。確定の二色と未確定。塗れる場所を定めるのと同じくらいに、塗れない場所を定めるのが大切なのが好きだ。「消極的な攻撃」と呼びたくなる、この作業が好きだ。どんなに消極的であっても、すこしずつ確定する場所は増えていき、最後には完成する。

フリーセルは片付け。散らばったカードを絵柄ごとに、順番に並べて、片付ける。散らばった部屋には、四枚分の余裕しかない。限られた余裕の中でやりくりするのが気持ち良い。右へ左へ動かしながら、ただ片付けていくことだけを考える。頭の中まで片付けられるようだ。

嫌なことがあると、ひたすらにフリーセルをやる。終わりそうにない片付けを、自分からやる。