一日一冊『家族八景』筒井 康隆

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

高校時代の友人は、たくさん本を読んでいることを、しばしば自慢した。私には友人が何冊本を読もうとすこしも興味がわかなかったが、「へぇ、それはすごいな」とほめていた。私のそれが、口先だけであることに彼も気づいていたかもしれないが、それもまた私にとって興味のないことだった。

彼の自慢の一つが、「筒井康隆などはすべて読んでいる」だった。家に全集があるだの、それが父の所有物だの、どうでもいいことをべらべらと話していた。私は、筒井康隆という名前こそ知っていたが、一つとして作品名を知らなかった。まったく、ひどい会話だ。

私は彼のようになりたくないとは思いつつも、まったく知らないと、それはそれでいけないなと思い、彼の言う筒井康隆の書いたものを読むことにした。先にも書いたように、ひとつも作品名を知らないので、とりあえずウェブを使って調べた。『ロートレック荘』『家族八景』『虚人たち』という名前が目についたので、それらを図書館で予約した。

ここで、今日の一冊『家族八景』に至るわけだけど、これが予想以上に良くて困る。

主人公は火田七瀬という、人の心の読める少女。その能力がバレないように、一箇所に留まらないように注意している。そんな理由もあって、様々な家のお手伝いさんをしている。この様々な家というのが、タイトルにもある「家族」で、「八景」というのは、この本に出てくる家族の数である「八」から来ているのだと思う。

この本を読んでいて、伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』で書かれていた(と思う)「名探偵は物語の一つ上のレベルに立っている」というのが思い出された。

彼女からなぜそれが思い出されたのか。他の登場人物にない能力を持ち、発言や行動で物語全体を進めている点はもちろんだが、その読心術を用いて「他の登場人物たちを観察している」点にある。読者と小説のような、探偵と事件のような関係である。読者の場合は、小説の中には組み込まれていないので、探偵の例の方がより近いだろう。つまり、登場人物でありながら、登場人物とは一線を画している。一つ上のレベルに立っていると言っていいと思う。

この特殊な能力を持った主人公に、観察させる対象が「家族」なのだが、これもまた良い。ある程度の自然さを持ちつつも、どこか歪んでいる。物語として面白くなりそうな素材を持った家族たちである。

そして、それを主人公は、あくまで観測者、観察者として眺める。主人公以外の登場人物(私の家族と呼んでいるそれ)は、ほとんど風景のようなもので、読者は、他の家族をのぞいているような感覚になる。いうなれば、七瀬というファインダーを挟んで、向こう側に存在する「家族」という風景を、読者は眺めることになる。そう考えると『家族八景』というタイトルは、実にうまいな、と思う。

税別388円。税込400円。良い。七瀬三部作と言われているらしい一作目がこれだ。他二作も、そのうち読んでみたいと思う。