暇つぶし──ウォーリーは誰だ
友人の日記が気になって仕方ない。気になって仕方ない日記は以下のもの。
始めから出来る人を僕はまだ見たことが無い
にも関わらず、今現在の能力だけを見て、僕にはああはなれないと思うことを数限りなく繰り返している。
今日偶然、ある分野において非常に高い能力を持っていると、僕が認識している人の成長の過程を目にした。なんだ、やはり始めから出来る人なんて僕は見たことが無いんじゃないか。おいお前、どうもやらないと出来ないみたいだぞ?
http://d.hatena.ne.jp/kuhukuhun/20080515/1210861519
気になるのは「誰なのか」ということ。「非常に高い能力を持っていると、友人が認識している」のは誰なのか、そして最後に「おいお前」と呼びかけているのは誰なのか。この文章に出てくる、二人の謎の人物は誰なのかということだ。
なぜ「誰なのか」が気になるのか。それは、私の分からない「二人(ないし一人)の誰か」のどちらかが、もし私なら、考えないといけないことがでてくるからだ。
ともかく文章を整理してみる。元の文章に対して、自分なりの書き直しを行った。
僕は、成長なしに「できる人」になった人を見たことがない。 なのに僕は、自身の成長を何度も諦めている。 今日、偶然「できる人」の成長過程を見た。 成長なしに「できる人」になれないことを再確認した。 「おいお前、どうもやらないと出来ないみたいだぞ?」
登場人物は最大で三人。僕(以下、友人)と、非常に高い能力を持っている人(以下、できる人)と、「おいお前」と呼びかけられている人(以下、呼ばれた人)だ。「最大で」としたのは、二人という可能性もあるからだ。呼ばれた人がもしも友人を指している場合(友人は、自分自身に呼びかけている)には、この文章の登場人物は、友人とできる人の二人になる。
登場人物が二人である可能性はなかったことにして、私がどちらかに該当した場合のことを考える。登場人物が友人・できる人・呼ばれた人の三人だったと考えて、私ができる人・呼ばれた人のどちらかに該当する場合のことを考える。
もし、私が「できる人」に該当する場合、考えるべきことは「私のどこが非常に高い能力なのか」だ。残念ながら思い当たるものがない。つまり、私は自分の強みを把握できていないことになる。自分の強みを理解していなければ、有効に活用できない。これは良くない。
もし、私が「呼ばれた人」に該当する場合、考えるべきことは「私はなにをやらないといけないのか」だ。それを知るためには、できる人が誰かを特定し、その人の「非常に高い能力」について知る必要がある。それに、第三者(友人)から見た私は「やらない人間」だということになる。これは良くない。
どちらの場合にも、私にとって、良くないということが分かる。
最後に、どちらでもない場合、「できる人」「呼ばれた人」のどちらにも該当しない場合を考える。この場合、私は友人の書いたこの文章と関係がないことになる。もっと言うと、「書いたものにいちいち反応してくるウザい奴」というなんとも不名誉な称号を得られる。これは良くない。
つまり、この文章を公開した時点で、私にとって、どの場合も良くない結果が得られることになった。言わゆる「死亡フラグが立った」状態である。友人の真の狙いはこれだったのかもしれない。な、なんだってー。