一日一冊『新・装幀談義』菊地信義

新・装幀談義

新・装幀談義

今日の一冊は『新・装幀談義』菊地信義。2008年4月13日の新聞で紹介されていたので、読んでみた。どんな紹介文だったかは覚えていない。

黄色い紙を透明のフィルムのようなもので加工してある。ハードカバーではないが、すこし厚みがある。表紙の左下に、小さく題が書かれている。装丁に関して書くだけあって、シンプルだが、嫌な感じがしない。

装丁について、実際に作成したものを写真つきで示しながら、どのようなこだわりをもって、どのようなことを考えてそれに至ったのかが書かれている。

全体を通じて、筆者の感覚によるものが大きく、言葉で表現しにくいことがらなのかなと思った。たとえば、「時間と空間」について書かれた章の一節(p.162)は、それがわかりやすいだろう。

造本の用紙は、横に細いラインがエンボスされたファンシーペーパーです。流れる川をイメージしています。カバーは白、物語の中心をなす、父親の不慮の死を暗示する画とタイトルがレイアウトされています。本表紙は同じ紙の色違いで、祖母をイメージした濃い青。見返しはお母さんをイメージした青。そして扉の明るい青が娘をイメージしています。横へ流れるエンボスは、色を変えることで三人三様の時間をイメージしてもいます。祖母から母、そして孫娘へと時が流れていく。

これには写真がついているのだが、「筆者のイメージを形にしたところ、写真のようになった」とそういうことしか、分からない。この形になるのに、いろいろ考えて、こだわっているんだなと、それはよく分かった。でも、こうやって説明でもつけなきゃ、見ている人には伝わらないだろうし、かといって言葉だけでは表現しにくい。写真があるのはせめてもの救いだが、実物を見て、触って……そういう手続きをふまないと分からない。そういうものなのではないかと思った。

写真がカラーだと良かったなと思う。筆者は、文字・素材・色・図像・時間・空間・要素の構成、の七つを装丁に必要なものとしているのだけど、白黒の写真からは、色が伝わってこない。素材や時間なんかも伝わらないのはそうだけど、それでも話が主に、写真のこれを作ったときは、こういうことをイメージしたよ、という構成なのだから、本文と同じくらいに重要なものとして色をつけても良かったのではないかと思う。きっと筆者のこだわりに反することなのか、コストの関係でしかたのないことなのだろう。

2200円は高い。買わない。