一日一冊『新潮現代文学 2 (2) (「黒い雨」「駅前旅館」)』井伏鱒二

新潮現代文学 (2) 井伏鱒二 黒い雨,駅前旅館 他

新潮現代文学 (2) 井伏鱒二 黒い雨,駅前旅館 他

今日の一冊は『新潮現代文学 2 (2) (「黒い雨」「駅前旅館」)』井伏鱒二

どうして本を読むのか。その理由はいくつかあるが、わかりやすい趣味を求めているからや、ページをパラパラとめくっている自分へのあこがれなどがある。はやい話が「読書カコイイ!」と思っているからだ。

かといって、あらゆる読書が「カコイイ!」に当てはまるわけではない。漫画や絵本をパラパラとめくるのは、違うと感じている。やりとりの中でどうなると考えてみれば、それが違うことがすぐにわかる。
「趣味は何ですか?」
「読書です」
「どういった本を読んでいるの?」
「バキです」
「それは何ですか?」
「格闘士(グラップラー)を描いた漫画です」
イオナズン面接そのものだ。では、どういった本が適しているか。簡単に言うと、文字の比率が高い、ページの多い本がこういったやりとりに適しているように思う。さらに条件を挙げるならば、相手が知っている作者で、相手が読んでいない本が良い。妙な感想を言っても馬鹿なやつだと思われにくいからだ。

他にも条件はあるが、今日の一冊は「読んでいて当然といったものは、読まなければならない」によるものだ。文学史に出てくるような作品は読んでいなければならない。

上記のような(真に読書家から見れば)くだらない理由が今日の一冊に至った理由である。

真っ赤なハードカバーで、ISBNも書かれていない。背表紙には「井伏鱒二 新潮現代文学2」とだけ書かれている。「黒い雨・駅前旅館」と書かれた白いテープがはられていた。

黒い雨・駅前旅館・琴の記・おふくろ・釣宿・軍歌「戦友」・半生記と七作品がはいっていた。本当は黒い雨だけを読みたかったのだが、予約して受け取ってみたら、こんなだった。予想の4倍は厚かったのでひるんだ。

黒い雨は、原爆うんぬんの話だった。題で気付くべきだった。黒い雨ってそれしかないよね。就職活動で憂鬱な気持ちのときに戦争やら原爆やら読みたくない。火傷がどうだとか、下痢がどうだとか、歯が折れた、毛が抜けたと、そんな話は読みたくない。バキだけで十分だ。いいかげんな理由で選んでいるからバチがあたったのではないかと思った。

そういった気持ちの悪い描写ばかりが続いているわけではないのだけど、どうにもペースが上がらない。ぐいぐいと物語にひきこまれるようなこともなく、読みにくい。つらい。憂鬱だ。もっと元気の出る本を読むべきだ。おふくろ・釣宿・軍歌「戦友」あたりは、割と読みやすかった。けれど、特に感想はない。読んだという事実だけが目的になっている証拠である。

ここまで書いて、読みかえした。小学生でももうすこしマシな感想を書くだろうし、こんな人間にはなりたくないと思った。